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前橋地方裁判所 昭和36年(ワ)122号 判決

原告

萩原千秋

代理人

湯本昇

外一名

被告

萩原和夫

萩原登喜一

代理人

山田岩尾

主文

一、原告と被告萩原和夫との間において、原告所有の群馬県吾妻郡長野原町大字与喜屋字所舟一、一一四番保安林一町二反九畝一〇歩と、同被告所有の同所一、一一〇番の一保安林二町二歩との境界は、別紙図面表示の、(い)点(同町大字滝原から同町大字与喜屋に通ずる里道上の曲角から約四間南方の道路に露出せる岩頭を基点とし、これから二〇二度五分、四九・四間)、(ろ)点((い)点から七四度四分、三八・五間)、(は)点((ろ)点から九五度五分、八一間)を順次結ぶ直線であることを確認する。

二、原告その余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者双方の申立の要旨

(原告)

一、原告と被告萩原和夫(以下単に和夫という)。との間において、群馬県吾妻郡長野原町大字与喜屋字所舟一、一一四番保安林一町二反九畝一〇歩および同所一、一一七番山林一町二反九畝七歩と、同所一、一一〇番の一保安林二町二歩との境界は、別紙図面表示、(イ)点(同町大字応楽字滝原部落から同町大字与喜屋部落に通ずる里道上で、一、一一四番保安林の西北端より四間南方の個所に露出せる岩頭を基点として五一度六分、四六・五間の楢の木)、(ロ)点(栗の伐根、(イ)点から一一度四分、五九間)、(ハ)点(栗の木、(ロ)点から一二二度、一・八間)、(ニ)点(岩、(ハ)点から一八八度五分、一五・五間)(ホ)点(栗の木、(ニ)点から一〇〇度一分、九・九間、(ヘ)点(栗の木、(ホ)点から七八度五分、一五・七間)、(ト)点((ヘ)点から六九度、七間)、(チ)点((ト)点から六五度、二二・四間)、(リ)点(熊川に接する点、(チ)点から六八度四分、五・四間)を順次結ぶ直線であることを確定する。

二、被告萩原登喜一(以下単に登喜一という)は、原告に対し、金三万五〇〇〇円およびこれに対する昭和二九年八月三日から右完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

三、訴訟費用は被告両名の負担とする。

(被告ら)

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

第二  請求原因および被告らの主張に対する答弁≪省略≫

第三  被告らの答弁および主張≪省略≫

第四  証拠≪省略≫

理由

一、原告が一、一一四番および一、一一七番の土地を所有し、被告和夫が一、一一〇番の土地を所有していることは当事者間に争いがない。

二、先ず本件各土地の位置関係について検討する。

右土地の法務局備付図面であることに争いのない乙第一号証、検証の結果(役場図面検証〔第一回、第二回〕、法務局図面検証)および右役場図面検証の結果により右土地の長野原町役場備付図面と認め得る甲第一号証によると、

本件役場図面とは長野原町役場備付の地図帳のうち「字所舟」と記載された一葉であり、本件法務局図面とは前橋地方法務局長野原出張所備付の図面のうち「与喜屋」と題する図面集のうち裏面に「与喜屋所舟九の乙」と記載のある一葉であること、原告主張の位置、境界関係は、ほぼ役場図面と同様であり、被告主張のそれは法務局図面と同様であること、右両図面は、本件係争部分特に一、一一四番と一、一一七番の土地の位置関係および面積について著しい相違を示していること、法務局図面には下端(東側境界)に熊川の部分の記載があるが、役場図面には熊川の表示もなく河川を示すような記載はもとより境界を示す一切の記載を欠いていること、役場図面には氏名の記載があるが(ただし一、一一七番には無い)、法務局図面には地番地目のみ記載されていること、法務局図面には一、一一〇番の一、二(後に合筆された)、一、一一五番および一、一一六番の各一、二等の分筆部分が表示されているが、役場図面にはその記載を欠いていること、役場図面には不明瞭な加筆がなされている部分があること

を認めることができる。

そうして、<証拠>をあわせ考えると、

原告主張の一、一一七番の土地は、登記簿上の地目は山林であり、その面積は一町二反九畝七歩とされているが、一、一一四番の地目は保有林であつて面積は一町二反九畝一〇歩であること、被告和夫所有の一、一一〇番の土地もまた保安林であつて、面積は二町二歩であること、今日まで後者の二筆の土地は保安林として扱われ、法定の制限のもとに使用収益されて来たこと、法務局図面にはいずれも右二筆の土地について保安林として記入がなされているが、役場図面にはその記入のないこと、法務局図面には目測によつても右公簿面積にほぼ比例してその広さが図示されているが、役場図面においては一、一一七番の土地のみが他の土地に比較して異常に広い部分を占め南北の各土地が細い廻廊状の土地でつながれているような地形に図示されていることを認めることができる。

そうして、鑑定人長島麻由美の鑑定の結果(第一回、第二回)によれば、役場図面を根拠とする原告主張線の各土地の実測面積は後記のように、公簿面積に比して一、一一〇番の土地についてはかえつて減少し一、一一四番の土地については増加するが、一、一一七番の土地のみが、著しく増大するものであることが認められる。

ところで、現在地方法務局に備付けられている地図は、明治政府が明治六年七月から明治一四年の間に改租のために調整したものであつて、その図面の作成に当つては、政府の一般方針としては、先ず検地のため人民から土地の地番、反別等を記載した地引絵図なるものを差し出さしめたうえ、町村吏が実地に臨み四隣の地主を立会わしめて官、民有地の別なく一筆毎にその所有を検し、その報告に基いて官吏が更めて現地に臨み地主および村総代人を会集して地引絵図と照合して誤りなきを期したうえ完成したものであることは世人の知るところであつて、被告登喜一本人尋問の結果によると本件法務局図面は、与喜屋村戸長が、実地を調査し、先ず、一筆毎の野帳を作成し、明治六年にこれを税務署に提出し官吏がこの資料に基いて作成したものであることが認められるので以上の事実をあわせると本件法務局図面は、本件土地の位置、境界について相当の正確性を有し、その記載は、証拠資料として信用するに足るものと考える。しかして現在市町村備付図面は、前記法務局図面を謄写したものであることはこれまた一般の知るところであるから、本来両図面は、完全に一致すべき筋合のものである。しかるに本件にあつては、前記のとおり公図面の様相は著しく相異し、どうしてこのように異る地図が二様に作成されたのかその間の事情は必ずしも明らかではない。現地検証の結果によると前記熊川は発電所に利用されている相当規模の河川であつて、原告主張の位置に一、一一七番の土地が存在するものとすればその東側境界は、右河川によつて画されているものと認められるのにその表示を欠き同東側は空白のまま放置されその境界の記載を欠き、かつ同土地のみが異常に広大な面積を占め、その地形も極めて不自然である等の事実からみると、役場図面が法務局図面と相違を来したのは前記鑑定の結果からみると役場図面を作成するに当つてひとえにその謄写に誤りを犯したものか、または正確な検地を行わずして別途に作成したものと推認する外はない。他に一、一一七番の土地が一、一一〇番の土地と隣接していると認めるに足る的確な証拠はない。

したがつて本件各土地の位置関係は、いつに法務局図面の図示するところによるべきものと考える。該図面によれば一、一一七番の土地と一、一一〇番の土地の間には一、一一四番、前記一、一一五番の一、二、および同一、一一六番の各土地が介在し、南北に相隔たつていることが認められる。

よつて、原告が本件において求めている一、一一七番の土地と被告和夫の所有する一、一一〇番の土地とは隣接していないのであるから、この部分について原告の境界確定を求める請求は失当として棄却すべきものとする。

三、(一) つぎに原告所有の一、一一四番の土地と被告和夫所有の一、一一〇番の土地の境界について検討する。右両地が一部隣接していることは当事者に争いがない。そしてすでに認定したように一、一一七番の土地は、一、一一〇番の土地に隣接していないとすると前記乙第一号証からみて一、一一四番土地は、その東側において熊川に接しながらその北側において一、一一〇番の土地に隣接している結果となる。そして以上の事実と現場検証の結果(第一回ないし第四回以下同じ)をあわせると前記滝原部落から与喜屋部落に通ずる里道と熊川の流れによつて東西を画され、原告主張線の南側と被告主張線の北側によつて囲まれた部分(別紙図面赤斜線部分B、D地)が、原告と被告和夫の重畳して主張する土地であつて、該両地の東西にわたる全線について当事者の主張は相違し、この係争地は一、一一〇番もしくは一、一一四番に属する土地と考えられることになる。

(二) 原告ならびに被告登喜一本人尋問の結果および現場検証の結果をあわせると原告主張の線上の、(イ)点には楢、(ロ)点には栗の伐根、(ハ)点には栗、(ニ)点には岩、(ホ)点には栗が各々あり、その主張線は、ほぼ尾根筋を形成し、原告が一、一一四番の土地と一、一一七番の土地の境界と主張する線上には険しい断岸が南北に走り、前記係争地域は、熊川西岸に位置する急傾斜面であつて二、三〇年生の楢を主とした雑木林となつていて、一、一一〇番の土地であることに当事者間に争いのない原告主張線の右断岸下北側地域(別紙図面B地)には、明治三五年頃同地を所有していた矢野万作が植林したと思われる唐松がほぼ原告主張線にそつて雑木と交つて生い茂り、これに南隣する前記D地とはやや林相を異にしていることが認められる。ところが、前記証拠によると被告主張線上の(い)点には落葉松の伐根、(ろ)点にはうりの木、(ろ)点には少さな岩、(は)点にはかつらの木があるのみで、(い)点から(ろ)点までの線は必ずしも自然の地形にそつたものとは認められないけれども、右(ろ)点から(は)点にいたるまでの主張線は、右断岸下でその線にそい沢状の窪地が熊川近くまで続きその外にも、係争地附近には大小の尾根や窪地が東西に走つているばかりでなく一、一一四番の土地であることに当事者間に争いのない被告主張線の右断岸上南側地域(別紙図面A地)には、その断岸線にそい自然に生じたと思われる赤松が立ちならび、明治三三年頃原告祖父駒四郎が植林した唐松がこれまた楢等の雑木に交つて生い茂り、これに北隣する前記B地ともやや林相を異にしていることが認められる。そして前記原、被告本人尋問の結果および現場検証の結果によると、右B地は、雑木が多いため植林に適せず、同D地は搬出不便のためそのの植林が行われなかつたことを推認するに足るので、原、被告らいずれの主張にしたがうも一筆の土地内に植林をしなかつた事実が認められ、原告主張にそう甲第一号証の証拠として採用し得ないことは前述のとおりであつて、他に原告主張の尾根の通る線をもつて本件土地の境界と認めるに足る証拠はない。

(三) さらに、係争地域の使用管理状況について調べるに、本件一、一一四番、一、一一七番および一、一一〇番の各土地がいずれも原告主張のいきさつで原告および被告和夫の所有に帰したことは当事者間に争いがなく、証人萩原好夫の証言および原告本人尋問の結果によると原告の父慎十郎が原告所有の本件土地を所有していた頃右B地に北隣する一、一〇八番の土地の所有者と前記土地に一、一一四番の土地が隣接するものとしてその境界を定めて同地の下草を刈つていたこともある事実を認めるに足るが、証人町田森之助、同萩原半四郎、同萩原観三の各証言、現場検証の結果および被告登喜一本人尋問の結果をあわせると、一、一一〇番の土地の前所有者矢野万作は、大正九年頃前記D地内の立木を訴外町田森之助に売り、同人は、同所内において萩原半四郎らをして炭を焼かしめていた事実および一、一一〇番の土地を被告登喜一が買い受けてからは同人もまた本件係争地の下草刈を行つたこともある事実が認められるので、かりに原告らが前記下草刈を行つたとしてもそのくらいの使用の仕方ではいちがいに原告らのみが本件係争地を使用管理していたものと認めることはできないし、右認定の趣旨に反する証人萩原国三郎の証言は証人町田森之助らの証言にてらしてたやすく信用できないし、他に原告またはその先代が本件係争地を占有して来たと認めるに足る的確な証拠はない。

(四) ところで本件においては一、一一四番、一、一一七番、一、一一〇番の三筆の土地に順次隣接する被告ら主張の一、一一五番、一、一一六番の各一、二の土地を加えた全地域の外周については当事者間に争いがないのである。そこで右土地の公簿上の総面積と実測総面積の比率を求めてみるに、鑑定人長島麻由美鑑定の結果(第一、二回)、同人の証言および現場検証の結果をあわせると右全土地の公簿上の総面積とその実測総面積との比率は、前者の一〇〇に対し後者の一八〇であつて、かりにこの比率にしたがつて右各土地に実測面積を按分し、原被告らの主張する本件境界に近似するところに一、一一四番の土地と一、一一〇番の土地の境界を求めてみると別紙図面棒点線による境界線が得られる。(前記鑑定の結果による)そこで、さらに(1)該線を境界として表示された本件土地の位置、地形と前記法務局備付図面に表示されている本件土地の位置、地形とを対照してみると両者は極めて近似していることが判り(したがつて、被告ら主張線とほぼ同じく、かえつてわずかに右棒点線による境界線の方が被告ら主張線より同人らに有利な結果となつている)(2)いまかりに原告主張にしたがつて、一、一一四番と一、一一七番の土地の範囲を実測すると合計六町九反二畝一八歩となり(前記鑑定の結果による以下同じ。)、登記簿面積合計二町五反八畝一七歩に対し四町三反四畝一歩の増加となるのに、一、一一〇番の土地は実測一町八反九畝二歩となつて二町二歩の公簿面積から一反一畝の減少となり著しく不相当な結果を示す。ところが、被告主張にしたがえば、原告所有の二筆の土地の実測面積は四町八畝七歩となつて公簿面積に対し一町四反九畝二〇歩の増加となり、被告の一、一一〇番の土地の実測は三町八反二二歩となり公簿面積に対し一町八反二〇歩の増加を示し、原告主張ほど不当な結果を生じないことが認められ、(3)また、現場検証の結果によれば、一、一一四番の土地は急傾斜地で土砂が熊川に流入するのを防ぐためこれを保安林に編入し、その必要のない一、一一七番を保安林に編入しなかつたことが認められるのであつて、これらの事実は本件土地の境界確定については重要な資料を提供しているものと考えるのである。

本来境界確定の訴は、裁判所がはじめからこれを知り得れば問題はないが、これを知り得る的確な証拠がなければ結局は裁判所の裁量により妥当と認められるところにこれを設定せざるを得ない。本件においては前記のようにその地形林相および使用管理状況のみからでは必ずしもその境界は明らかでない。しかし本件の主たる争いは法務局備付図面によるか役場備付図面によるかである。後者の採用し得ないことは前記のとおりであつて法務局図面こそ本件境界の資料とするにふさわしいものであることはすでに述べたところである。もつとも該図面も現場検証の結果によれば、その地形において若干の相違のあることを認めざるを得ない。そこで、当裁判所は前記(三)の五筆の全地域の外周については当事者間に争いのないところから、これを手がかりとしてその実測面積を按分してかりにその境界線を求めてみたわけである。その結果は前記のとおりであつて、本件三(一)冒頭説示の事情および右(1)(2)(3)の事実は、右境界線を本件土地の境界とすることに十分なる合理的根拠を与えていると考えるのである。したがつて当裁判所は、前記認定諸般の事情を考慮し、鑑定人長島麻由美の鑑定(第二回)の結果による実測図上に図示した各公簿面積合計比に対応した棒点線を基本としさらにこれより法務局備付図面を根拠とする被告主張の線で前者の線を若干修正した線(その方が原告に有利である)を本件土地の境界と定めることとした。

(五) よつて、原告と被告和夫との間において、一、一一四番と一、一一〇番との境界は、別紙図面表示の(い)点(同町大字滝原から同町大字与喜屋に通ずる里道上の曲角から約四間南方の道路に露出せる岩頭を基点とし、これから二〇二度五分、四九・四間)(ろ)点((い)点から七四度四分、三八・五間)、(は)点((ろ)点から九五度五分、八一間)を順次結ぶ直線であることを確認する。

四、つぎに、原告の被告萩原登喜一に対する損害賠償請求権について検討する。

同被告が、原告主張の日時頃、原告主張の立木みづぶさ等八本(石数約二五石)を伐採したことは当事者間に争いがないが、右伐木の生育していた土地の所有権の帰属については当事者間に争いのあるところである。そうして、現場検証の結果(第一回乃至第四回)によれば、右立木は前記境界確定を求める係争地内に生育していたことは明らかである。ところが、前記認定のとおり右土地が原告の所有に属するものとは証拠上認め得ることのできないところであり、他に右立木につき原告が権原により植栽したものとする主張、立証は存しない。

以上によれば、原告の本件損害賠償の請求は、その証明がないのであるから、失当として棄却せざるを得ない。

五、よつて、原告の本訴請求については、前記認定の限度において被告和夫との間に境界を確認し、その余の請求を棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条により原告の負担とし、主文のとおり判決する。(水野正男 松岡登 大塚喜一)

別紙 図  面≪省略≫

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